2020. 6. 20
今21年春夏の新作の最終段階真っ只中。少し頭休めの日記です。
ものを作ることはやっぱりそのプロセスで学ぶことが多い。何かを目指して作っているけれど、(この場合は展示会で発表して、お客様に見てもらってオーダーを取る)、その最中に起こったことが結局血肉になっている。この半年の間に起こったこと、考えたこと、どこかに行って目にしたこと、誰かが話していたこと、朝目覚めてふと気づいたこと、、、オフィスだけでなくそういったことが全部一つの方向に向かっていっている感じで、全部繋がって、形になっていくのを見るのが面白い。僕個人だけでなくスタッフや関わっている人、偶然、あるいは困難や問題も全部ひっくるめて、少しずつ形になっていき、ある時にオギャアという感じで目の前に現れる。
少し前から、境界を消すことを考えている。最初はジェンダー。これはわかりやすいきっかけで、ストールから初めて、カットソー、ニットウエアと繋がっていき、そしたら女性に受けたのでレディースを始めて(自分でも女性の服には興味ありました)、それから男性にも、と思ってメンズの服を作って展示会に出展したりしていました。だけどある時ドイツのエージェントだったアンケと話していて、それがやりたいことなのか?と思った時に、なんかしっくりこなく、そのあとsuzusanはユニセックスブランドと言い切った方がしっくりきた。同性を好きになることとか、男性が女性の格好をしているとかというのは問題ではないし、以前にグラフィックの仕事をお願いしていた友人が1年後ぐらいにゲイだとわかってなんで今まで黙っていたの?と聞いたら「お前は人に会った時に、はじめまして、僕はストレートです。と言うか?」と言われて、なるほど、と。その境目がなくても何も問題ない。そのことで言えば嬉しかったのは、今までに有松に50人ぐらい海外からインターンが来たのだけれど、スイス人のインターンの男の子がゲイだったのだけれど、有松での仕事で心配していたがスタッフはそれをすんなりと受け入れていたのは本当に良いスタッフだと思った。自分と違うことを受け入れて、初めて話ができると思う。
それからシーズン。2月にタンクトップ、7月にダウンコートを売っている世界は、本当に正しいのか?という疑問。これも上記ジェンダー同様ファッションでテーマになっていることだけれど、世界のスピードが早くなり過ぎた結果誰もそんな時期に必要じゃないものまで世界に溢れている。本当に価値あるものは、いつでも、いつまでも使ってもらえるものだと、今世界がスローダウンした時に改めて思う。僕自身会社を作ってから突っ走ってきたけれど、季節の移り変わりとか、そういうものにもっと目を向けたいなと感じています。
で、今を見ると、社会のオンとオフのボーダーも無くなって、家でもzoomでオンになったり、リラックスすることが、場所というより、個人の意識に近いところにある。体の外より、中でリラックするというか。満員電車の中でヘッドフォンをかけてオフになる時間とか。
そういうことを今回のシーズンでは何度か考えていました。根と葉というのも、そのメタファーであると思う。
昔から、こういう対、はざま、二面性みたいなのに興味があって、そしてその興味は多くの時に「この境界がなくなったらどうなるのかな」という興味とともにあった。西洋と東洋。伝統とコンテンポラリー。アートと工芸。アーティストとしての自分と、デザイナーとしての自分。まだ未熟だけど、経営者としての自分と表現者としての自分。もともといる場所にいれば落ち着くはずだけど、落ち着いているのが居心地が悪いというか。あとものを一つの場所から別の場所に持ってきて価値が変わるのをみてハッとさせられるのを、みてみたいという気持ち。
本当はそれをひらりと超えたいけれど、時には壁が高いな、これは駄目だな、自分では無理だなと思う時もある。そういう時はかなり辛いです。あと自分で壁を作ってしまっている時。考え方が固執してしまって、ステレオタイプという壁。これが一番厄介。それを壊してくれるために、新しいものの見方を作るために美術館に行くのも好きなのかも。出張や人に会うのも、そういうところがある。
あとそういう反対側を知っていることで、自分のオリジンを改めて知ることもあって、クリスチャンと働き出した時に感じたのは、僕はすごく日本人だなあ、というところ。僕の場合は悪い意味が多いけれど、ノーとうまく言えなかったりとか当時は多かったし、答えを出すのに時間がかかった。ただいいところは、考え方のプロセスが右往左往しているということは、その分景色が多く見えるということもあって、楽観的で逆説的、へそ曲がりな考え方だけれど、ものを作る時もストレートに答えを出すよりもあっちにフラフラ、こっちにフラフラと考えを巡らせて、それはそれで楽しい(展示会前などで時間がなくなってきた時はスタッフからお尻を叩かれて辛いですが)
多分今でも、自分の中にはいくつもざまがあって、もっと簡単に飛び越えたいと思っている。
この仕事も有松鳴海絞りをしているというよりも今は多面的になってきていて、それは飛び越えてきた結果が少しずつ形になってきているのか。これから何を飛び越えられるかな。経営をすることは、僕にとってもう一つの、飛び越える壁で、それは不安もあるし、ひらりと飛び越えられなさそうだけれど、その向こうの世界をみてみたいです。
追記、
今これを書きながら思い出したけれど、20歳ぐらいの時に本を出るかでないかぐらいの時に思っていたのが、社会に出たら丸くなれ、とみんなが言うけれど、それってどうなんだ、と思っていた時のこと。角が取れるのがいいことなのかな、と。で考えていて自分の中でハッと気が付いたのだけれど、尖まくってツノを出しまくって、ウニのように丸くなってもいいんじゃないかな、と気がついたことがあって、それはその時の正解が出た感じ。削るんじゃなくて、尖って丸くなる。なんか青臭い感じですが、それは当時の社会に出たら丸くなることになることの疑問への答えとして、当時出して良かったと思います。なんか最初の文脈と関係内容だけれど、思い出したので備忘として。