BiffiのRosyさん

2020. 7. 8

2008年に家賃2万円のデュッセルドルフの学生寮のキッチンで「suzusan」を作りました。クリスチャンと一緒に毎晩ああだ、こうだと、ビールを飲みながら毎晩語り合い、この無くなりそうな、ヨーロッパで全然知られていない日本の伝統技術をどうやって形にして、一山儲けるか。夢と野望と、前のめりの情熱で全く飽きない話が続きました。

ただ会社を作って蓋を開けてみると、そう行った机上の計画が全く通用しない。お金もない。経験もないし、人脈もない。展示会に出すお金もない。しかも会社を作ったらすぐリーマンショックがきて、毎日毎日為替が変わり、円がどんどん高くなって最初つけていた1万円で作って2万円で売ろうと思っていたものが、18000円になってしまった。売っても全然儲からないし、そもそも買う人がいない。売り方も知らないし、これは、困った、と。

メールを書いても電話をかけても無名のブランドに誰も見向きもしないので、八方塞がりで電話の前で落ち込む日が続きました。

そこで当時の彼女、今の妻からお金を借りてリモアのスーツケースを買い(今ではあちこち割れているけれど、まだ使っています)、作ったものを詰め込みクリスチャンのボロボロの車で、突撃訪問販売。この時は本当にヨーロッパ中を回りました。1日に何件も回って、断られ続けて。ただいま思い返してこの時期が一番いろんなことを吸収できたと思います。なぜなら、展示会ではバイヤーは忙しいからわざわざブランドのブースに来て、あーだこーだは言わない。なのでブランド側は学ぶ場所がない。ただ突撃して「5分でいいので、見てください」とお願いすると、見てくれる人がいて、ただ「これは色が嫌い、サイズが小さい、もっと柔らかいのが、値段が。。」と限りなくケチをつけてくれる。そしたらこちらはそれを今度は改善して、もう一回いき、「この間のこと、改善して持って来たんですけれど、、」ということでまた突撃。それを繰り返すうちにだんだんと「あら、これいいじゃない、じゃあ3枚注文しましょうか」となってくれたりして。6時間車でベルリンまで走っていって、12枚のスカーフのオーダーを初めて「Andreas Murkudis」というお店でもらって帰って来た時は本当に嬉しかった。

特に嬉しかったお客さんはミラノの「Biffi」。Yohji Yamamoto, Comme des Garconsを一番最初にヨーロッパで紹介したお店で、ステラマッカートニーを学生の時から見出していたという、目利き中の目利きのお店。初めてこのお店に訪れて、スーツケースをお店の角に置いてお店を回って、これは素晴らしいお店だ!と興奮して、本当に感激して手に汗を握ったのを覚えています。そしたらお店のスタッフの方が声をかけてくれたのだけれど、その時はストールを持っていたけれど、尻込みをしてしまい、見せられなかった。ただ「日本から来て、ブランドをやっています。いつかこのお店に置いてもらえるように今は頑張ります。」と伝えたら、「じゃああなたの商品がこのお店で見られる時まで、楽しみに待ってるわね」と言ってくれて、それを励みに、その後辛い時もいつかあの店に作ったものが並ぶ風景を思い浮かべながら頑張れました。

それから数年したある日、ミラノのホワイトという展示会にいたら小柄な女性が来てスカーフを触っていて、興味を持ってくれていて、話をしていたらBiffiのオーナーRosyさんだった。そして、オーダーをしてくれた。信じられない、、という気持ちで、今まで諦めずにやって来て、本当に良かったと、心の底から感じた時でした。

その後2018年にBiffiでsuzusanのイベントをやりたい、とお願いしたら、ぜひお願い、と言ってくれて、ミラノコレクションの最中にショーウィンドーを作っての大舞台に。何度もダメ出しをくらいながらのショーウィンドーデザインをして、最終に「これは好き!」と最後に言ってくれてインスタレーションをデザインしてミラノに入り、ドイツスタッフの創也くんと夜通しで作り完成。たくさんの人が来てくれて、それまでの疲れが一気に吹き飛んで、夜はRosyさんやビッフィ一家と美味しいイタリアンで楽しく食事。本当にこの仕事をやっていて良かったと感じるのは、今まで12年やって来て本当に数えるばかりだけれど、そのうちの一つの、とてもいい思い出です。

Hiroという名前をなかなか覚えてくれずいつも「スズサン!」と言って抱きしめてくれる、本当に可愛い70歳を超えた元気なおばあちゃん。パリのファッションウィークを走り回り、時にはパリコレの一張羅でsuzusanを着て訪れてくれる時には、本当に泣きたくなるぐらいに嬉しいのです。